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2013年12月

クリスマスとサン・ステファノの祝日

イタリアのクリスマスは家族みんながそろう大事な祝日。一般的に25日の昼食がメインの食事会になる。日本では24日のイブも盛り上がりを見せ、この日に恋人がいない女子はけっこうさびしい思いをするようだけれど、こちらではもちろんイブの夜も家族で過ごす。夕食を一緒にとり、深夜になると教会でミサが始まるので家族ででかける。そしてそれが終わるとワインとパンがふるまわれるのだと、ローマでできた友人のアレッサンドラが教えてくれた。教会の外で、家族そろって近所の人たちとおしゃべりしながら傾けるワインやその雰囲気は、まぁ悪くないのだとか。

 

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ちょっと寝坊して目覚めた25日は昼から大ご馳走の大宴会。これでもかと皿が出てくる。あまりにお腹いっぱいで苦しくて、夜は食べたくないぐらいなのにさらに食卓は盛り上がり、ようやく解放されベッドになだれ込むころには胃はパンパンで動くにもひと苦労。そんなわけで、次の日、26日のサン・ステファノの祝日は、いわばお疲れ休みとでも言ったところ。とくにこれといった行事もないようだ。聖人ステファノは、キリスト教で初めての殉教者。当時まだ正統派であったユダヤ教を否定、新興勢力でしかなかったキリスト教への信仰を告白したために石で打たれて殺されてしまったという。こんな大変な思いをしたのに、お疲れ休みって。なんだかねぇ。

 

 

 

2526日はすべての店が閉まり、日常品の買い物すらできないから気を付けてと忠告されたが、26日の夕方、町に出てみたらあちこちの店が開いていた。切り売りPizzaの店やファストフード店、Barなどで、町の広場には若者が集っている。終日家族で過ごしたあとは、やっぱり友達と会いたくなるのだろう。さすがのイタリアでも若い人って、そういうものです。

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この時期、25日の前の週末から交通機関の値段ははねあがる。シチリアに実家があるという人に聞いたら、なんとローマ~パレルモの往復航空券が800ユーロもしたそうだ。このクリスマスと、夏のフェッラゴストの祝日である815日前後は同じように家族が集まることになっているので、地方出身者は年に2回、この出費を余儀なくされるわけ。帰らないなんてマンマに言えないので、よっぽどの事情がない限りこの帰省をまぬがれることはできない。

 

 

 

ある日本人の友人の友達は、サルデーニャ島の出身。彼女曰く、「というわけで、彼は年に2回の海外旅行をしているようなものなのよ。そのうえに日本旅行をするなんて、夢のまた夢ってわけなのよ」。

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この日本人の友人と2人で今年はクリスマスを過ごした。イタリアで初めてのクリスマス。24日の夜は遅くまで周囲も騒がしく、楽しいパーティーが繰り広げられているのが家の中らでも分かるほど。うってかわって25日の朝の静かなこと! この日は朝から教会へ行くのが伝統的な習慣なのだそうだが、果たしてどれだけのイタリア人、カトリック教徒がその習わしを守っているのか。

 

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ブラッチャーノにお引っ越し。

ローマに移って3か月半。うち1か月は東京に戻っていたけれど、そのうち半月ほどシチリアからの友達が日本旅行に来たりしていたので、私の中ではイタリア時間がずっと続いている感じ。

 

先週、ローマの中で、新しいエリアに引っ越しした。

ラッツィオ州には、ヴィテルボ県、リエティ県、フロシノーネ県、ラティーナ県に、このローマのあるローマ県の5県がある。しかし一般的に「ローマ」と言われてイメージするエリアは、ローマ県の中の一部分でしかなく、それは高速道路入りの地図を見ると分かりやすい。

ローマには、外周をぐるりと囲んで走る高速道路がある。ローマの端から端、対角線上にある場所へ移動したいときは、この外周を走る高速道路に乗り、適当なところで降りれば良い。もちろん中を突っ切って行っても良いのだけれど、ローマの交通渋滞、運転マナーの激しさを知っているなら、この外環道とでも言うべく、通称「GRA」を使う。そしてこの「GRA」に囲まれているエリアが、遺跡や史跡の集中するいわゆる観光都市「ローマ」なのだ。

 

さて私が引っ越した新しいエリアは、住所表示だと(RM)とつくROMAローマ県。でも電車だとすぐ先の駅はもうヴィテルボ県だし、さらに少し行くとお隣のウンブリア州に入る。アッシジやペルージャ、オルヴィエート、スポレートなど小さな可愛い町のたくさんある州だ。

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私の部屋の窓からは、湖と古城が見える。ブラッチャーノ湖と、オルシーニ・オデスカルキ城だ。

そしてこの町に引っ越そうと思ったのは、ほんの偶然からだ。

突然ローマでの引っ越しを余儀なくされた私は、知り合いもほとんどいないローマでいったいどうやって新しい家を探したものか、かなり迷っていた。そして実際ローマの中心に住んでみて、遺跡や史跡も見飽きたし、何より町と人の雰囲気みたいなものが東京とあまり変わらないなと感じ始めていたので、どうせ引っ越すなら思い切って風光明媚な場所にしようと何となく決めてみた。

そして選択肢を3つに絞った。あくまでも何となく。とくにこれと言った積極的な理由もなく。でもこの「何となく」って、意外と的を得ているのではないかなと思う。人間の脳みそは思ったより緻密な計算をしていて、当の本人のキモチ的には「何となく」のつもりでも、脳みそ的には「しっかり」計算しているのだ。

 

1.フィウミチーノ空港から近い、海辺のエリア。

ローマの人が夏の週末に出かける海岸のあるオスティアや、ナポリやシチリア行きの船が出るチビタ・ベッキアなど、とにかく海が見える場所。

2.ローマの地ワイン生産地であるフラスカーティ。

ここは雰囲気の良いカンティーナも集中しているようだし、何よりブドウ畑を見渡す丘のふもとに住んだら、毎朝清々しい新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、素敵な一日を過ごせるのではないかと。

3.ブラッチャーノ湖のほとり。

前に住んでいた家から、ローマの平地がべたーっと続くはるか向こうに小高い山が2つ重なっているのが見えて、いつか行ってみたいなと思っていたのだ。その山の下にあるのが、ブラッチャーノ湖。

 

もちろん3か所とも行ったことは1度もない。

そしてこの3つの選択肢の話を日本旅行に来ていたシチリア人にしたら、ブラッチャーノがローマにも行きやすいし良いのではないかと言う。彼女の兄がブラッチャーノに住んでいて、毎日ローマ法王のお膝元、サン・ピエトロまで通っていると言うのだ。電車で40分ぐらいだし、家賃も安いし、何より自分の兄がいろいろ助けてくれるはずだから、と。

このアドバイスで一気に気持ちはブラッチャーノに傾いた。日本からインターネットの賃貸サイトで物件を探し、不動産屋に連絡し、ローマに着いたすぐ次の日の朝から見られるようにアポイントメントをとった。そしていくつかの物件を見て、今いる部屋に決めたというワケ。

新しい部屋からの眺めは本当に素晴らしく、湖もさることながら、古城がこんなに雰囲気のあるものだとは! 何せブラッチャーノに実際に来て、初めてこのお城の存在を知ったぐらい。それほどに私はブラッチャーノについて何も知らなかったのだ。

そしていろいろ助けてくれるはずだった、友達の兄とはまだ会っていない…。

そう、何もかも自分ひとりでやるしかない、こういう環境だからこそ、不動産屋も、宿がないときお世話になったB&Bのマダムも、そして新しい部屋のオーナー夫婦も、本当に助けになってくれたのだ。困った環境にいると、なぜか救いの手が差し伸べられるイタリア。だから私のように無鉄砲でも何とかやっていけるのだ。

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